武器とか道とかの話
特定の対象に対する話ではなく、大きな出来事に対する時の一般論として書きます。
そもそも
そもそも目の前で起きている出来事が、どれだけのインパクト(ここでは自分自身に与えるインパクト)を持つものなのかを素早く認識できる感覚(とか知見)があることが前提だし、
それを察知して、疑問解消とか防衛のためにアクションとったりできることも前提だとは思うんですけど、
不安→きっかけとして利用する
大きな出来事(公私問わず)があったりすると、
- 自分が本当にやりたいことはなんなのだろうかとか
- 居場所とか
- 行く末とか
- 持っている武器とか(それがこれから先の場所でも通用するのか)
- 持つべき武器とか
- 持ちたい武器とか
なんかそういう系のことに対して不安を持つ*1んですけど、むしろ、そういうことを考えるきっかけにしちゃえばよいのかなとも思ったりする。
歩き方の工夫とか
なんだかんだ言っても一定の組織においては、実際、道は与えられることが多いんだけど、その道が自分の意思とかけ離れていたり(とかヤバそうな道だと感じたり)したときには、与えられた道を単に歩くんじゃなくて、与えられた道に対して歩き方を工夫するようなことも必要になってくるんじゃねぇかと思ったりする。
つまり
つまり、変えられないことはそのまま受け入れて、変えられることは変える努力をしましょうということですかね。
*1:なにも感じないのであれば、それはそれで別の価値観なのかなと思います